アイルランドの新星-オールド・ヘッド・ゴルフ・リンクス



1915年、第一次大戦中ドイツ海軍が誇る最新鋭潜水艦UボートU-20号は、アイルランド沖22マイル地点を海面航行していた。艦長のワルター・シュバイゲルは、ベルリンの名家に生まれ海軍大学に進んだ後、27歳でキャップテン・ルテナントの地位を得ると、1914年にはU-20号の艦長に任命されていた。5月15日13時20分、望遠鏡を手にしたシュバイゲルは、霧が晴れ始めた前方の海面に煙が立ち昇っているのを発見する。よく観るとそれは4本煙突の巨大客船だった。

当時最大級のイギリス豪華客船ルシタニア号は、ニューヨークからリバプールに向け大西洋を南進していた。戦況が激化しており、これが最後の航海であった。濃い霧で25マイル先にあるアイルランドの海岸線は見えなかったが、ターナー船長に危機感はなかった。これまでにドイツ潜水艦の脅威はなかったし、英国海軍の護衛艦がエスコートに来ることになっていたからだ。


ドイツ海軍の英雄
若きUボート艦長シュバイゲル


13時40分、ルシタニア号は「近くの海域にUボートが接近している。目的地を近くのクイーンズタウンに急遽変更せよ」との警告を海軍省から受ける。船長は同時に護衛艦のジュノーの派遣も取りやめになったことも知ることになる。ようやく霧が晴れ、近くの陸を見ると、高い岬の頂上に白と黒に塗られた灯台があった。船長にとっては見慣れた風景、そこはキンセールのオールド・ヘッドだ。

U-ボートの艦長にも報告が届いた。「彼船は3万トンのルシタニア号、22ノットで航行中。客船だが軍事物資の輸送船でもあり、攻撃目標に該当する」。このとき30歳、エリート海軍士官のシュバイゲルは一瞬のためらいもなく命令を出す。「攻撃用意」。この海域は既にドイツ海軍により戦闘地域として通告され、英国とその同盟国の船がこの海峡を通過することは攻撃を受けるリスクがあることを世界に布告してあったからだ。


当時、世界最大級の英国客船、ルシタニア号
左にオールド・ヘッドが見える

ルシタニア号のターナー船長も瞬時に命令を出していた。「針路、北に転換せよ」。 潜望鏡でルシタニア号を監視していたシュバイゲルは攻撃のまたとない機会を目のあたりにする。「こんな幸運は信じられなかった」目標が大きく展開し巨大な船腹がものの見事に横一線に広がったのだ。「ファイヤー」650ヤードの至近距離をG型魚雷が水面下3メートルを38ノットで突き進んだ。


「SOS-SOS,キンセール、オールド・ヘッドの南12マイル」魚雷爆撃の数分後、ルシタニア号は現在でもミステリーとされている2回目の大爆発を起こし、1,257名の船客と乗務員のうち1,198名を船内に閉じ込めたまま沈没。当時、世界最大の海戦事件といわれた「ルシタニア号の惨劇」である。魚雷攻撃を受けてからわずか18分の沈没で、船橋の時計は14時10分で止まった。

アイルランドは緑が豊富で美しい国だ。世界で最もドライブを楽しめる国の一つでもある。そしてゴルフと言えば、リンクス愛好者が死ぬ前に一度はプレーをしたいと願うローヤル・カウンテイ・ダウン(世界9位)、アイルランドでただ一回全英オープンが開催されたローヤル・ポートラッシュ(12位)、この世で一番美しいリンクスといわれるバリーバニョン(16位)等々、世界に冠たるコースがひしめいている。新しいリンクスも綺羅星のように生まれていて、その中で群を抜いているのがオールド・ヘッド・ゴルフ・リンクスだ。

オールド・ヘッドは菱形の大きな岬だ。この岬に目をつけ「世界で最もスペキュタクラーなゴルフ・コース(ゴルフ・マガジン評)」を造ったのはジョンとパトリック・オコナー兄弟である。彼らは持ち前の創造力を駆使し、世界に類を見ない斬新なコースを計画した。「自然の地形に近代的な戦略性を秘めたコースを創る」というテーマだ。オコナー兄弟は1989年に220エーカーを買取ると、莫大な予算と8年の歳月を掛け1997年にオールド・ヘッド・ゴルフ・リンクスを完成させる。コース設計には世界中から著名なアーキテクトを招聘、幾多の論議を経て、極め付きの戦略的ホールの数々が創造された。

「岬の突端に展開する7,300ヤードは、パー5が5個、パー3が5個、パー4は8ホールという変形レイアウトになった。9個のホールが断崖上に造られ緊張を強いている。そして、全てのホールからは海原が見渡せ、完璧な眺望とコース・デザインが徹底されている。ここでプレーをし、感銘を受けないゴルファーはいないはず」全英アマ選手権を3度勝ち、アイルランドで最も著名なプレーヤー、自らも設計チームに参加したジョー・カー博士が断言している。

オールド・ヘッドでのプレーの拠点はコーク空港南の海岸線にあるキンセールで泊まることをお薦めする。ヨットハーバーを持つこの瀟洒な港町では毎年10月に<インターナショナル・フッド・フェステイバル>が催され、ヨーロッパ中からグルメが集まる土地柄だ。夏のアイルランドの陽は長くて暖かく、レストランのパティオでゆったりとした食事が楽しめる。

午前10時、深い霧の中をテイーオフ。真直ぐの打上げホールで2打目の地点から赤旗がかすかに見えた。2、3番ホールも霧の中で弾を打った。左側が切り立った断崖であることも知らずにだ。4番ホールのテイーに立つと風が強まり、霧が飛んでゆくのを感じる。薄日が射すと突然目の前に白黒色の灯台と紺碧の大海原が展開、海面上百メートルもの高さの崖の台地にいることもわかった。
難関の4番ホールと著名なオールドヘッドの灯台

この4番、423ヤード、パー4。「かみそりの刃」と呼ばれる難易度が高いホールだ。左は海に切れ落ちている。「右の台地に向かって打ってください。思い切って行って。サー」我々に付いた年若いキャディのマイケルが遥か右方向を指さす。なるほど、右に出た打球は傾斜を跳ねてフェアウェィに戻ってくる。セカンドショット、まだ200ヤード近く残っていてウッドを手にする。「ウッドはだめです。マウンドグリーンで硬いからアイアンで刻んでください」とマイクが言う。パーオンに挑戦したかった私は聞き耳を持たず、好んで使う7番ウッドで打った。快哉を叫びたくなるほどの「ナイス・ショット」球は見事にグリーンを捉えたがわずかに左にそれ、そのまま大きくキックをしていった。思わずマイクを見ると彼は悲しげな表情で頭を振っている。「アイ・アム・ソーリー、サー。ボールは崖に落ちました」

グリーンから見る灯台は大きい。この海域は霧が深いため遭難事故が多く、昔からの古い灯台に加え1832年にこの大型の灯台は完成した。マイクが指を差す。「あの地点でルシタニア号が沈んだのです。あの日も朝は深い霧だったそうです。昼過ぎに、晴れた海から爆発音が聞こえ、真っ赤な炎が見えたそうです。そして、巨大な船が傾き、海に飛び込む人々が見えたそうです」マイクは泣かんばかりの声で私の問いに答えてくれた。

英国のウィンストン・チャーチルは、ルシタニアの撃沈を<歴史上最大の卑劣な戦闘行為>と叫び、世界にUボート潜水艦の非行を攻撃、128人もの自国民の犠牲を払ったアメリカを世界大戦に参戦させる、という政治劇をやって見せた。1917年にはより大型のU-88の艦長になっていたシュバイゲルは19万トンの敵船を撃沈させ、ドイツ海軍の最栄誉賞を受賞している。しかし、この撃沈トン数の中にはルシタニア号のトン数は含まれていない。カエサル皇帝もこの世界的プロパガンダと非難には頭を痛め、ドイツ海軍は遂にルシタニア攻撃を正規の撃沈として認めなかったからだ。


「究極のホール・デザイン」と評判が高い12番ホール
オールド・ヘッドのホールは殆どが難攻不落、一つとして同じ攻め方は通用しない。数ある魅力的なホール中でも圧巻なのは、12番ホールのパー5(554ヤード)だ。馬の背状のフェアウエイが左右に傾斜していて左側は垂直に切れ落ちている。「とにかくフェアウエイの真ん中に打ってください。左側は絶対だめです。サー」とマイキィ・ザ・キャディが忠告してくれる。彼の警告と私の意思に反して打球は左の海方向に一直線に飛んでいった。ボールの行く手をじっと見ていたマイクは「大丈夫です。ラッキーポイントがありますから」と叫んで駆け出す。
行ってみると断崖の右端のかすかな窪地に白球が残っていた。2打は更に狭まるフェアウェィを<菱形岬>の首の部分に向かって打ってゆく。アプローチは盛り上がった小さなグリーンへは限りなく正確なショットが要求され、「絶対に大振りしてはいけません」「スリークオーターで転がして」キャディのマイクは私達があたかも全英オープンを闘うプレーヤーみたいに真剣そのもので、もうマイクの言いなりだ。

7番ホールは、ゴルフ・ダイジェスト誌が世界ベスト500ホールに選んだ「灯台」と呼ばれる名物ホールだ。628ヤード、パー5。このドラマチックなホールは長くて狭く、右手の断崖にプレッシャーをかけられる。グリーン手前175ヤード地点には窪地があり、ここから砲台グリ-ンへのブラインド・ショットが勝負の分かれ目となる。
直線を打たないと、グリーン左にはバンカー、右にプッシュすれば70メートルの崖に打ち込むことになる。「ここを2オンした数少ないプレーヤーの中にジョン・デイリーがいます。チャレンジしてみますか?」マイクが笑っている。そして、プレーヤーの誰もがグリーンに立ったとき、この17番が何故世界で最も難しく、「世界ベスト・オーシャン・ホール」の一つに選ばれたかを確信するはずだ。


マイク・ザ・キャディと

話を「ルシタニアの悲劇」に戻そう。

ルシタニア号撃沈についてのドイツ海軍当局の調査を受け、シュバイゲル艦長はこう報告している。「私達には3本の魚雷しか残っていなかった。ドイツに帰るまでの航海での戦闘を考え、撃った魚雷は1発のみだ。だから、同船が2回目の大爆発を起こし沈んだのは腑に落ちない。大量の爆発物を積んでいて引火したに違いない」世界的大論争となったルシタニア号が爆薬を含む戦略物資を運んでいたか否かは今でも謎とされている。ドイツは「YES」と言い、イギリスは「NO」の平行線を辿ったからだ。

轟々たる世界中の非難の中でシュバイゲルは悩み、落胆していた。にもかかわらず、この頃には彼は撃沈トン数第6位、U-ボート艦隊の<エース>として讃えられ、ドイツ海軍が戦功者に贈る<ブルー・マックス>を受賞、国家的英雄になっている。しかし、この栄光の中でシュバイゲルは自らの終焉を覚悟していた。

ルシタニア号を撃沈したU-20号はデンマーク沖で戦闘による打撃で潜航が不能になり、艦が敵手に落ちるのを防ぐため自爆の運命を辿る。そして、<ブルー・マックス>受賞の数週間後、シュバイゲル艦長が指揮するU-88は英国海軍と激戦の末、2度と浮上することはなかった。沈没地、北海。53,57北-04、
55。乗組員の生還者なし。若き英雄シュバイゲルが33歳の誕生日を迎える7週間前の戦闘であった。

 
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