ものの考え方に随分影響したようですね。
そうですね。実は、39歳の時母親が、42歳の時に父親が亡くなって、40代は自分なりに一番悩んだ時でした。そんな時受け入れ、頼ることができたのがクリスチャンの教えでした。ゴルフの成績そのものは努力の世界ですし、練習しないで強くなることはないけど、「自分の立っている場所が少ししっかりしてきたな」という確信をもてるようになりましたね。だから、クリスチャンになってよかったなと思っています。
中嶋プロのライフスタイルにとって信仰は大切なことなのですね。
スポーツ選手というのは、いつか一線を退かなければいけない時が来るわけですよ。ゴルフというものをライフワークとして考えた時、選手としての幕を降ろした後、ゴルフを通じて何ができるかというと、後輩の指導なり、ゴルフをたくさんの人に楽しんでもらう為に何か行うといったことですよね。でもそういったことをするのにも、自分自身がゴルフに対して豊かになってないと他人に伝染しないじゃないですか。自分が貧しい気持ちでゴルフをやっていたら、「あんなゴルフしたくない」って思われてしまうのは嫌ですね。「ゴルフをやっているだけで楽しくなるなぁ」とか、「ああいうゴルフはいいなぁ」とか、そんな風に皆に思ってもらえれば嬉しいですね。
すばらしいですね!!そういった精神があるからこそ中嶋プロは頑張れるのでしょうね。
「頑張る」ということで言うと、若い頃は父親の期待に応える、あるいは中嶋家というゴルフファミリーの期待を背負うとか、そういった意味で「頑張る」ことしか自分を主張する場面がなかったんです。練習をやればやっただけそれなりに結果として表れて出てくるから、「頑張れば報われる」という方程式の中で生きていましたね。
その方程式は歳を重ねるごとに変わりましたか。
「頑張る」だけではどうにもならない年代がやって来た時、追い討ちをかけるように「頑張る」ひとつの目的だった母親や父親がいなくなって、励みがなくなってしまったんです。若い頃よりも頑張ろうとする気持ちを強くするのだけど、精神的に頑張り疲れてしまう。そんな時、神様が「お前が頑張っているのはわかっているよ」「おまえは良く頑張ったよ」と、認めてくれるんです。そうしたら、ふっと肩の荷が降りて、「ああ、頑張る必要はもうないんだ。ここからありのままやっていけばいいんだ」と気がついたんですね。
楽にはなっても、頑張らないことに不安を感じてしまいそうですが・・・。
これは、練習量を減らすとか手を抜くとかそういうことではないんです。「ありのままのスタイルでゴルフを続けなさい。そこで何か発見できるものを大切にしなさい」というようなひとつの方向性をもらったのだと思っています。それまでいい成績が出せないという“焦り”でいっぱいだったのに、その苦味をちょっと味わってみようという気持ちになれた。苦くなかったらおいしくないビールと一緒。この苦さの先で新しい中嶋っていうものに出会えるかもしれない、そう思うようになってから、いい練習ができるようになったんです。
状況を受け入れ、壁を乗り越える準備ができたわけですね。
「努力が偶然を掴む」こんな言葉をどこかのスポーツ選手が口にしたんだけど、私はそういうチャンスに巡り合わなかったし、気付きもしなかった。でも、不思議なもので、苦味を味わおうと思った時、チャンスが見えるようになってくるんですね。
ひとつの例は、若い時に私のところにいた弟子が、故障に悩んでトレーナーになったと、ふっと目の前に表れたことです。そして、「こういう練習をこういうメニューでやられたらどうです?このトレーニングするといいと思いますよ」と、アドバイスをくれたんです。これはチャンスを与えられたと思いましたね。
もうひとつは、「もうクラブ契約をしません」と言われた時。自分はとしては、45歳も過ぎたことだし、今までお世話になった契約先に恩返するために、クラブの設計に携わったり、若い選手を育てたりと、いろんなことを思っていたんですよね。要するにもう引退ですよ。そんな矢先にいらないって言われたら、一瞬ネガティブに捉えてしまいますよね。でも、「よーし、こうなったら山ほど使いたいクラブがあったのだから端から使ってみよう」と思ったんです。これも新しい発見ができるかもしれないチャンスです。
「災い転じて福と成す」というか、ピンチがチャンスになる。縛られるものがない、だから自然にそういう考えになる。
そのあとのゴルフはいかがでしたか。以前とは全く違うものになったのでしょうか。
いや、そんな極端な、劇的な変化というのはなくて、じわじわと出てきました。「あれ?なんかちょっと良くなっているのかな」って自分で気がつくくらいです。スポーツ選手の自信というのは本に書いてあった100の理論とか誰々が言った100の言葉から来るものじゃなくて、たったひとつの、体の中心に“バッと芽生える”手応えなんですよ。「あ、これはちょっといい感じかも…。これかな」と自ら感じ、「これは水を与えていけば大きな自信という木になるぞ」と思えることです。
それから2002年に優勝されて、見事な復活劇を見せてくれましたね。
それが人間って面白いもので、あの優勝で「中嶋復活」と騒がれたら、「自分は特別なんだ」という慢心的な、欺瞞な心というのかな…信仰してわかっていても出てくるわけですよ。そしてまた、2003年、2004年と、2005年と自分らしくなくなってくるわけです・・・。